「不登校児の増加を懸念する一方で『学校に行かない』という選択肢があることによって、子どもたちが自分に合った学び方や、生き方を見つける機会になる場合もあるため、この数字の増加は必ずしもネガティブな面ばかりではないと私は考えています」 子どもたちの不登校の原因は複雑で、一人ひとり異なりますが、その原因としては下記が多くみられるといいます。
1. いじめや友人関係の問題
5. 学校システムへの不適応
心理状態としては、不安、抑うつ、自己否定感、無力感などが見られ、社会からの孤立感や将来への不安を抱えている子どもも少なくありません。
出雲いいじまクリニックが語る必要なケア
飯島さんは、不安や無力感を抱える子どもたちには、安心できる安定した環境の中で、一人ひとりの状況に応じた適切な医療的・心理的サポート、学習支援、そして家族や学校との連携が重要になると話します。
不登校になる子どもたちに多い特徴として「高い感受性や繊細さ」 「完璧主義的傾向」 「他者の評価を気にしすぎる傾向」などが挙げられ、適切なサポートがないと自信の喪失につながってしまうことも。 「しかし、これらの特徴は裏を返すと素晴らしい長所になり得ます」と飯島さんは話します。 大切なのは、不登校の子どもたちを孤立させず、適切なサポートを提供し、その子自身の長所としていい面を伸ばしていくことなのです。
以上・・・「不登校は病気と診断」全国初の不登校専門クリニック、前に進むための医学的アプローチ の記事を引用・・・
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その呼び名は、一昔前は登校拒否、最近では不登校と呼ぶようになりました。 そろそろ、自宅学習生という呼び方にかえたらどうかと思います。 登校拒否と言われていた当時と今の不登校とはその状況がかなり違ってきてます。 一昔前(スマホが普及する前)の登校拒否と言われた当時の事例から紹介していきます。
20年くらい前の話になります・・・PCが子供の手には渡らず携帯はガラ携しか持たされず、世間(世界)からほとんど孤立せざるおえない状況に追い込まれた当時のこと・・ 大病院の精神科に入院していた中2の男の子をリハビリも兼ねて塾で預かったことがあります。 週2回ほど通ってきましたが、看護婦さんが本人に気付かれないように後方で付き添うようにして通ってきました。 勉強の方は、彼とのコミュのツールでしかなく、何を教えたかはよく覚えてません。
精神科へ入院することになった経緯は、実家が地方のド田舎であり、学校に通わず引き籠っていれば”針の筵状態”であったことは容易に想像できます。 登校拒否をその時すでに小2から中2にまで6年間続けてきたことになり、地元で入院できる病院・預かってくれる施設もなく、そのままの状況を続けることがあまりに可哀そうだ・・と親が判断したのでしょう。 3人兄弟の末っ子でした。 実家は農家であり、父親は役所勤めの公務員ということで、地方ではよくあるパターンです。 両親との面会は2度程ありましたが、私は医師でもなければカウンセラーでもありませんから、家庭内の事情に関して、ご両親はもちろん本人にも立ち入って聞き込むようなことはしませんでした。 登校拒否という事実が目の前にあるだけで、私にできることはどうやって彼と”コンタクト”をとるか?それだけでした。
中2とはいえ、これを知っとかないと将来困るだろう・・と思われことから始め、小学5年生程度の内容から始めたと思います。 学習能力は普通くらいでしたから、能力的に学校の勉強に付いていけないことが登校拒否の理由でないことは分かりました。 私が一方的に説明しているだけで、彼が頷くとか質問するようなことはなかったと思います。 そうこうしているうちにひと月が経った頃、「僕には居場所がありません」と、ボソッと私に一言放ってきました。 その言葉に、私は固まってしまったのです。 ああだのこうだの・・はぐらかすような受け答えはいくらでもできたでしょうが、真に受け止めた返答ができませんでした。 彼と私の間でどれくらいの沈黙の時間が続いたかは分かりませんが、今振り返ってみれば、その沈黙こそが彼からの信頼を得たようなのです。
それからしばらくして、主治医が私に面会したいという連絡があり病院を訪ねました。 その帰りに許可を得て彼を散歩に連れ出しました。 歩きながら、彼から私にいろいろと話してくるようになり、そんな会話の中に「いつまで病院に居ればよいのでしょう」と聞かれ、「君はいたって普通だし、病院にいる理由はなさそうだね」と私が応じました。 その後、学年的には中3になるころ、退院できることになったのですが、今更、田舎には帰れないし、それこそ、彼には居場所がありません。
ご両親と主治医と私の三者面談の中で、「アパートでの一人暮らしはできないか?」ということになり、病んでいた?中学3年生が退院後にアパートで独り暮らしというのは、今思えば、とんでもなくハードルの高いことなのです。 それでも、私の知り合いの不動産屋さんに頼み込んで、「私が責任は取るから・・」ということで、実現にこぎつけました。 私が住んでいる近くにアパートを借りることと、いつでも私に連絡がとれるような状況にあれば、しっかりした子でもあり、大丈夫だと判断したからです。 アパート住まいの際に、自炊したことにより、調理師の資格を取ることにつながったのでしょう。 私の住まいに下宿するような案もありましたが、それではまた違った人間関係の中に置かれこととなり、別の問題が発生することも考えられ、思い切った選択になりましたが、独りでアパート暮らしとなった経緯があります。 中学校には通わず、塾だけに通ってきましたが、定時制高校へ進み、その後、調理師の資格を取るための専門学校へ進みました。
その後、連絡を取り合うこともなくなり、彼の存在も忘れかけていたころ、風の便りに「どこどこのラーメン屋に努めている・・」という話を聞き、訊ねていったのですが、店内には前掛けをびしっと決めた凛々しい姿がそこにはあり、「店長!」という声に素早く反応した彼を見ていて、目頭が熱くなり、ただ黙ってラーメンを頂くしかありません。 店内に入った瞬間、彼と私の目線が交錯し、互いに意識しているのでしょうが、無理に会話をするつもりもなく、ここでも不思議な沈黙があったような気がします。 店を出る際に後ろから「ありがとうございました!」という彼の大きな声が聞こえてきましたが、私は振り返ることもなく、大きく頷いて店を出てきました。
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<追記>
この記事に関しては、個人や地域が限定されるよな内容は記してませんが、ここに書いたことはすべて事実であり、”脚色”などはしてません。 このページ以降の記事も事実にも基づいており、一部ですが内容を変えたりしてます。 当塾に通ってきている以上、月謝(費用)が原則としては発生しているわけであり、塾長として当然の対応もあり、それ以上の対応もあったかもしれませんが、”不平等”であっても構わない・・という信念に基づいて対応をしてます(月謝が出世払いの者もおり、費用を頂かない生徒もいましたので・・)。
不登校生ばかりを生徒として指導しているわけではなく、普通な生徒も多くいます。 また、塾長として50年間生徒を見てこともあり、昭和後期の記事もあり、平成、令和と記事の時制も様々です。 関わった生徒に関しては、その後の付き合いも継続している場合もあれば、塾に通ってきた期間だけだった者もおり、中には、当時の生徒の子供が通ってきており、親子で通って来るようなこともあります。 この上の記事に関しては、(私が都会人であるのか)その後、付き合いを続けていることはなく、その後の情報も得てません。 また、私から積極的に情報を得ようともしてません。 私が塾長として、一貫して変わらなかったことは、学習を指導することはあっても、”人生”を指導した覚えはありません。 意見を交わすことはあっても、常に生徒と同じ目線で、抱える様々な問題と向き合ってきたつもりです。
「失敗する教育」というタイトルの後に「不登校」となると、不登校となる原因が親にあるような印象がありますが、その原因・理由・要因のほとんどは親の側ではなく、学校側の受け入れ態勢に問題があったり、社会的要因、スマホの普及による学びの多様性、子供の様々な障害、精神疾患などによるところと考えられます。 学校側の問題としては、主な原因は団塊世代のベテラン教師の大量の退職により、20代、30代の若手教師が多くなり、多忙な若手教師では「いじめ問題などの対応」も含めて、限界があること。 社会的要因として大きいと思われたことは、コロナ禍で自宅待機が続き家庭内に長居する習慣がついてしまったこと。 地域もよるが、外国人移住者が多く、日本の慣習に馴染めない親子がいたり、相対的貧困度がより深刻な状況にもなっていること。 スマホの普及に関しては、功罪があり、不登校生を孤独な状態に陥らせない意味では貢献度が高い。 子供の様々な障害、精神疾患などに関しては、精神科、心療内科、カウンセラー、下に載せてる公的機関に相談することをお勧めします。
不登校になる子どもたちに多い特徴として「高い感受性や繊細さ」
<公的機関に相談することもできます>
教育センター(高校生以上が対象)は各自治体へご相談ください。