生涯学習 写真撮影術

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私がこの女性を撮ったのは、彼女が19歳の時で、この写真をもってモデル事務所に行ったらモデルの仕事が決まった。 そして、彼女はプロのモデルとなり、私は写真家になることを決意した、13年前の話。 私は60歳であり、写真家としてはずいぶん遅れたスタートでした。 人生というのは、どんなきっかけで何が始まるか分からないという典型的な例です。 当時、趣味で始めた写真でしたが、まさかプロの写真家を名乗るようになるとは夢にも思ってませんでした。 FBでの繋がりで、面識はなかったけれど、撮影依頼したら快く引き受けてくれて、撮れた最初の写真がこれ。 私に腕はイマイチでしたが、彼女には秀でた才があったことは確か。 

この頃は、撮ることが楽しくて楽しくて、ただ夢中で撮ってました。 F値を下げればこう撮れる・・程度のことは知ってました。 屋外で撮る場合は、背後の人などがボケるような設定とすることはマナーであり、画像もそれなりにそれらしく撮れます。

カメラはこの撮影時では最も優れたカメラNikon D3を使ってますが、こうして、ネットに載せるだけであるなら、中古でフルセットで1万円程度のものであれば十分です。 もっと言えば、スマホでもよいと思います。

私が普通の写真家でないことは、この写真が如実に物語ってます。 13年前の自分の写真を観ながら思うこと・・アングルが変というか、ちょっと違いますね、普通の写真家がすることとは。 何がどう違うかは、後のページでも書きますが、上手に撮ろうなどは思ってなく、単に自分の好みだけを優先して撮り、トリミングしてました。 今思えば、それが良かったのと思います。 上手い写真家はいくらでもいますが、自分の好みをどこまでも変えずに撮り続けられる写真家って、そうはいないものです。 撮り始めのころ、ずいぶんいろいろな人にアングルがへんてこりんだの・・いろいろと貶され、それでも、自分の写真の撮り方を変えるつもりはありませんでした。 撮るなら、楽しくなきゃね‥ということがあり、面白みのない写真を撮るつもりはありませんでしたので

今思えば、この画像はピントの合わせ方が手前の指の方にあり、目には合ってません。 その上、ピンボケしてますね。 下手ですね、でも、画像としてはとても興味深いものがあります。 モデルの本質をとらえている・・と言えばその通りで、「観る側の創造力に委ねる」ことが出来てます。 絵画であれ写真であれ、・創造力を委ねることこそが肝であると確信してます。 簡単に言えば、観る側に(創造力をもって)参加する余地を残すことであり、そのような撮り方はとても高度な技術と精神性が問われることと思ってます。 最近、写真はどうとればよいのですか?と聞かれることがありますが「腕を磨くことも大切だけど、美意識や精神を磨き、自分と真に向き合えるような姿勢が大切と思うよ」と応えたことがあります。 既成観念ばかりを身に付け、”小手先で撮ろう”とすることが最悪です。

僕は自分のために写真を撮っているのではなく、観る人ために写真を撮ってます。 観る人がどれくらい楽しんでくれるかを考えて撮ってます。 観る側に委ねているわけですから、観る人によっていろいろな見方ができるわけです。 観る側に”参加する余地”を創ることが写真の原点だと思います。 自分の側で完結するような写真はかたぐるしいだけじゃなく、観ていて疲れます。

これほどまでに表情が豊かなモデルはいません、これまでに。 でも、この当時は彼女にとっては初めての撮影であり、経験値は全くなかったはずでしたが。 何事にも運はつきものですが、このモデルと撮影できたことが彼女にも僕にもその道のプロとなることを決断させたわけで、その意味では決定的な貴重な出会いであったわけです。

決して、在り来たりなポージングはしてません。たぶん、本人がしたようにしているだけですね。 それが絵になります。

僕は60歳から写真を始め、65歳になった頃、FBで写真を載せていたところ、世界的に有名なキュレイターの目に留まり、いきなり、世界レベルの写真展に参加することになります。 それ以降、流行り病の前(2019年)までは主にフランスでの展示会へ参加し続けることになります。 世界には5大メジャーな写真の展示展がありますが、その中の二つにはすでに出てます。 今は人生100年時代ですから60歳から始めても全然遅くはありません。 60歳ともなれば記憶力は低下していきますね、そのことが幸いして、既成観念やありきたりの経験値は身に付かないことです。 ですから、いつも、新鮮な気持ちで撮影に臨めます。 それまでに観てきたもの聴いてきたものなどすべてを写真に盛り込めるでしょ、それこそが60歳から始めた優位点です。 ですから、上手になろうとしないこと(60歳から始めたことは上手にはなりようがない)、下手でもよいから面白い写真を目指すこと。写真を写真のジャンルにはめ込まず、アートとして捉えることも一つの考え方です。 下の画像のように・・

写真を生涯学習の一環として捉えることもできますね、より老いていた方がアドバンテージがあるわけですから。 私の年齢(73歳)ともなれば、ここまで生きて来れたことに感謝するだけで、既に失うものも守るものもありませんから、全身全霊を込めて撮影に臨めるわけですね。 覚悟を決めてやれば、その心意気は写真に反映されます、必ず。

アート的な編集としてます。 写真の世界でも同様ですが、物事は相対的に成り立っており、どこかを潰せば、その周りは惹きたてられるということを実証した写真です。 また、こういうトリミングをへんてこりんという人はいますが、僕にとってはごく自然な感覚です。 具体的に書き記しておきましょう・・ドレスの輪郭が残っているだけでグレーに潰れています。 印象派の絵画などではよくこのような描き方がされてますが、写真ではなかなか賛同者の得られない編集です。 

写真を撮る人たちには「写真はこうあるべきだ・・」という既成観念があって、グレーに潰れてるような個所があることは許せないのでしょうね、あまりに乱暴が過ぎるような感覚かもしれません。 僕はもともと絵描きであって写真から始めているわけではないので、このような編集にはとても興味をそそられることはあっても何ら抵抗はありません。人は歳をとれば頑固になっていきますね、これまで生きてきた価値観を覆すような考え方ができなくなります。 もっと言えば、25歳くらいまでにその人の価値観が形成されてしまい、その価値観で鎧のように身を固めて身を護り、その後の人生を生き抜いてきたわけですから。 私が考えるには、写真というものは四角いアングルの中に収めなくてはなりません。 そのこと自体が既成概念のわけですから、そのアングルの内側くらいは自由でありたいと思うわけです。 

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個人経営で個別指導塾 塾長を50年続けてきました。 駅前で大手がひしめく中、運営してくことの難しさと個人経営であるが故の多様な在り方を実践してこれたことへの自負とがあります。 学習塾とはどうあるべきか、親は子へどのような接し方が”理想・現実”であるのか、ここにはすべて塾長の本音を記していきます。 そして今、老年期を迎え、「楽しく生きること」への模索を綴ってます。

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