Anri-I 2 境川慕情

:

:

:

:

境川慕情

境川は、ただ町田と相模原の間を流れる川ではない。

かつてこの川は「高座川」とも呼ばれ、武蔵国と相模国の境が定められた後、「境川」という名を持つようになった。けれども、その境ができる以前から、川の両岸には人々の暮らしがあり、同じ地名が残るほど、一つの生活圏としてつながっていた。

そんなことを思いながら、この写真を見る。

雨上がりのような湿った空気。深い緑の中に立つ一人の女性。白い傘と浴衣の淡い色彩が、森の緑の中に静かに浮かんでいる。

境川という名前には「境」という言葉がある。しかし、この写真から感じるのは、境ではなく「つながり」だ。

川は人と人を分けるために流れているのではない。山から生まれ、野を潤し、人の暮らしに寄り添いながら、やがて海へ向かっていく。その流れの途中に、たまたま人間が「ここからこちらは別の国」と線を引いた。

けれど、水には国境も市境もない。

雨が森に降り、草を濡らし、川となって流れていく。その水は町田を通り、相模原を通り、さらに南へと進んでいく。境川の流域が、古くから両岸一体の歴史と文化を育んできたことも、今に残る遺跡や地名から知ることができる。

だから私は、この女性を「境川のこちら側に立つ人」としてではなく、この土地の記憶の中に立つ人として撮ったような気がする。

傘を持つ手。伏せた視線。浴衣の柄。濡れた草。遠く霞む森。

そこには、何かを強く主張するものはない。

ただ静かに、時間が流れている。

写真とは、不思議なものだ。

一枚の写真の中に、その瞬間だけでなく、その場所が背負ってきた時間まで写り込むことがある。

境川は今日も流れている。

人間が決めた境界線など知らぬ顔で、雨水を集め、草木を潤し、南へ南へと流れていく。

その川を眺めながら、私は思う。

「境川」という名前は、少し寂しい。

本当は、この川は境ではなく、人と土地と時間をつないできた川なのではないか。

だからこの写真を、私は「境川慕情」と呼びたい。

川への郷愁。

この土地への郷愁。

そして、二度と戻ることのできない一瞬への郷愁。

写真に残るのは、女性の姿だけではない。

その日の空気も、雨の匂いも、森の静けさも、そして境川が静かに抱えてきた長い時間も――。

シャッターを切った瞬間、すべてが一枚の中に沈んでいった。

投稿者:

xs136481

私は東京生まれ、東京育ちで、教育関係の仕事をしながら写真家としても活動しています。 20歳で絵画を始め、15年前から写真表現に取り組んでいます。写真は独学で学びましたが、その表現の根底には、幼少期から親しんできた浮世絵の美意識があります。また、Sandro Botticelli や Pablo Picasso の作品からも多くを学びました。 特に、Rembrandt Harmenszoon van Rijn が生み出した光と影の表現は、私の写真における構図や空間表現に大きな影響を与えています。絵画的な視点を大切にしながら、人間の美しさや存在感を写真で表現することを目指しています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です